アーサー・ビショップ


本名:アーサー・ゲイリー・ビショップ (Arthur Gary Bishop)
国:アメリカ
生:1951年
没:1988年6月10日

犯行期間:1979~1983年
逮捕日:1983年7月24日

犠牲者数:5人

判決:死刑




 1951年、ユタ州ヒンクリー。ソルトレイクシティから南へ百七十キロに位置する小さな町でアーサー・ビショップは産まれた。ユタ州は別名「モルモン州」と呼ばれるほどモルモン教徒の多い土地柄であり、ビショップの両親も例外ではなかった。厳しすぎるほどの宗教教育を受けたビショップは、優しく真面目で模範的な少年であった。ボーイスカウトの最高位である「イーグル・スカウト」の勲章を得るほどだった。反面、内気でおとなしすぎる性格でもあり異性の友人はほとんどいなかった。
 高校時代、生徒会長を務めるが、決して人気があったからではなかった。むしろその逆で、「優等生」をからかうために生徒たちはビショップを生徒会長に勧めたのだった。

 卒業後、彼はフィリピンへとモルモン教の布教活動のために赴く。帰国後、ソルトレイクシティのスティーブンス・ヘナジャー大学に入学。簿記を学び、優秀な成績で卒業した。

 1978年2月、ビショップ27歳の時、公金横領の罪で逮捕された。額は8714ドル。この事件は周囲を非常に驚かせた。犯罪に手を染めるような男だとは家族も同僚も、誰ひとりとして思っていなかった。誠実で優秀だという評判だった。
 裁判では罪を認め反省していたように見えた。横領した金を返すという条件付きで、執行猶予付き五年の懲役の宣告を受けた。

 だが、彼は金を返さず逃げた。

 警察は彼を指名手配し、教会は破門にした。

 ビショップは遠くには逃げていなかった。同じソルトレイクシティに住んでいた。ただし偽名を使い「ロジャーダウンス」と名乗っていた。小さな仕事を見つけたまに小金を盗み、細々とした生活を続けていた。そんな暗い人生で彼の楽しみはポルノだった。それも普通のポルノではなく少年を対象とした児童ポルノだった。
 彼は裸の少年の写ったビデオを漁り、貪るようにして見た。妄想は膨れあがり、夢の中で少年を犯した。やがて、それは爆発した……。

 1979年10月14日。アーサー・ビショップの住んでいたアパートの向かいのマンションに住んでいたアロンゾ・ダニエルズ4歳が標的となった。アロンゾ少年がひとりで庭で遊んでいるときに、ビショップはアメ玉で少年を釣った。少年はビショップの言葉に逆らわなかった。彼は少年を自宅の部屋へ連れ込んだ。服を脱がせ愛撫しようとした。だが、少年は。突然泣き出した。いくらなだめても泣き止まなかった。少年はママにこのことを言いつけると、叫びだした。
 ビショップはパニックとなり、鉄製のハンマーで少年の頭を殴った。だが、少年は泣き止むどころか、更に激しく泣き喚いたため、少年を水がはってある浴槽へ運び、沈めた。溺死した。
彼は少年をダンボール箱へ入れると車のトランクに積んだ。ソルトレイクシティから南へ三十キロほどの砂漠まで車で運び、そこへアロンゾ少年を埋めた。
 ビショップは後にこの時のことをこう説明した。
 「犯罪を犯したという嫌悪感。逮捕されるのじゃないかという恐怖感。それらと同じぐらい、いやそれ以上に強く得も言われぬ高揚感に襲われた」

 アロンゾ・ダニエルズが姿を消してから、警察や近隣の住民は賢明な捜索を続けていた。アロンゾの自宅の向かいにあるアパートには、警察が戸別訪問を行った。もちろん、ロジャー・ダウンスこと、アーサー・ビショップの部屋にも訪れたが、それは型どおりの質問に終わり誰も彼を疑う物はいなかった。

 その後一年間、ビショップは少年の代わりに仔犬を殺し続けた。小さな小屋に二十匹近くの仔犬を飼い、アロンゾ少年の時と同じように頭部をハンマーで叩き、水に沈めた。苦しむ姿を見て、ビショップは悦びを得た。だが、やがてそれだけでは物足りなくなってきていた。

 1980年11月8日。ビショップ29歳。ソルトレイクシティのローラースケート場で11歳のキム・ピーターソンと出会った。少年は、新しいローラースケートを買うために、古いそれを買ってくれる相手を探していた。ビショップは興味を持った振りをした。35ドルでその商談が成立した。二人は受け渡しのために、翌日、再び会う約束をしてその日は分かれた。
 翌11月9日。
 キムは両親にローラースケートの買い手が見つかったと告げた。買い手の名前は言わなかった。夕食までには帰ってくると言い残し家を出た。だが、二度と帰ってこなかった。

 両親は即座に警察へ通報した。捜査は、ローラースケート場の人間を中心に行われた。キムが、若い男と親しげに話していたという証言が得られた。更に、数人の証人に対して退行催眠がかけられ、より具体的な証言を得ることができた。それによると、25から35歳の男性。丸い顔でめがねをかけ、髪の色は濃く、眉は太め……。 しかし、キムの発見には結びつかなかった。

ビショップ横顔


 ビショップの自宅へ連れてこられたキムは、ハンマーで叩き殺され、死体は前の被害者であるアロンゾ少年のと同じ場所に埋められた。

 警察は、アロンゾ・ダニエルズとキム・ペーターソンの二つの失踪を関連付けることはできなかった。被害者二人の特徴が一致する点は少なかった。片方は4歳でアフリカ系アメリカ人。もう片方は11歳で白人、ブロンドの髪。ただどちらもビショップの住んでいるアパートからそう遠くないところに住んでいた少年ということだけが一致していた。

 11ヶ月後。1981年10月20日。アーサー・ビショップはスーパーマーケットを訪れた。彼はそこでダニー・デイビス4歳と出会う。彼は少年のことを「今まで見た中で最も美しい少年」と後に評した。
 ダニーは、ガムの自動販売機の前にひざまずいていた。金を入れずにガムを手に入れようと苦心していたのだった。ビショップは少年に近づくと、アメ玉を差し出した。だが、少年をそれを拒んだ。ビショップはあっさりとその手を引っ込めた。しつこく言い寄ると警戒されるのを知っていた。彼はその場を立ち去る振りをして物陰から、ダニー少年を見つめていた。
 やがて少年は動き出した。彼は少年の跡をつけた。少年は店を出て道路を横切って駐車場へ向かおうとしていた。ビショップは少年に手を貸して駐車場を渡った。顔見知りとなっていた男に、ダニーは警戒心を抱かなかったのだ。

 ダニーはビショップの自宅へ連れ込まれ。イタズラされた後、少年の口と鼻を押さえ窒息死させた。死体は今までの被害者と同じ場所に埋められた。

 ダニー少年の母親が、息子の姿が見えないため店員に迷子案内を頼んだが既に遅かった。少年が失踪したことが判明し警察が呼ばれ、捜査がはじめられた。
 複数の客が、少年がガムの自動販売機を漁っているのを目撃していた。だが、それがダニー・デービスであったということに気づいた者はいなかった。
 警察はスーパーマーケット周辺は当然のことながら、周りの山や砂漠にまで緻密な捜索が行われた。湖からは水が吸い出され、路地のゴミ箱の中身はひっくり返された。
ダニー少年の顔写真は印刷され、全米へ配布された。情報提供者に対しては二万ドルの報償が約束された。
 そして、近隣の住民に対しても聞き込みが行われ、アーサー・ビショップの自宅にも警察は訪れた……。

 だが、何の手がかりも発見できなかった。

 82年8月。サンセット小学校の前からレイチェル・ラニヤン3歳が誘拐される事件が起きた。数日後、少年は縊死体で発見された。これはアーサー・ビショップとは無関係な事件だった。

 だがソルトレイクシティの住民たちは、ここ4年の間に4人の少年が失踪していることに恐怖を感じずにはいられなかった。住民の働きかけで、刑法は改正され、誘拐の刑罰を更に重くされることとなった。住民はほんのわずかな安心感を得た。だが、その二年後、またも事件は起こる……。

 1983年6月23日。水曜日。午後。
 トロイ・ワード6歳。彼の誕生日だった。夕食時にパーティーが開かれることとなっており、親戚たちが集まることになっていた。それまでの時間を、少年は近所の公園で一人で遊びたいと言いだし、両親はそれを許可した。それが間違いだった。
親戚が集まる時間になっても少年は帰ってこず、様子を見に行っても少年はどこにも見当たらなかった。
 直ちに警察に通報された。
 警察は周囲を捜索し、いくつかの証言を得た。公園で遊んでいた少年が四時頃に、青年と手をつないでどこかへ歩いて行った。青年と子供は親子のようだった、と。
 青年は、アーサー・ビショップだった。
 ビショップはいつものように少年を家へ連れ込み、服を脱がせ打擲し愛撫した。最初は被害者を生きて帰すつもりだった。だが、少年は両親に、されたことを話す、と言ったため、殺すことに決めた……。

凶器のハンマー


 一ヶ月後。1983年7月14日。
 グラエム・クニンガム。13歳。彼は週末にキャンプへ行く予定だった。同行するのは学校の友人と「ビッグ・ブラザー」のコーチ。

 「ビッグ・ブラザー」とは経済的に恵まれない子供や、障害を持った子供を支援するための組織だ。アーサー・ビショップは数年前からその組織へ入っていた。そこには片親しか知らない少年が数多くいた。父親の像を求めて、ビショップに懐く子供も少なくない……。
 後に「ビッグ・ブラザー」の責任者は警察にビショップのことを、「子供に対して異常なほど優しすぎる」と説明した。
 この組織内でビショップは少なくとも二人の子供に性的虐待を与えていたのが、逮捕後に明らかになる。

 グラエム・グニンガムは週末のキャンプに参加することができなかった。週末を迎える前に、少年は失踪したのだ。
 ビショップはグラエムの捜索を手伝うためにグニンガム一家を訪れた。警察とも言葉を交わし、「誠実な男」との印象を与えた。
 だが、これがビショップのミスだった。
 これまで連続して起こった5人の失踪事件のうち4人の自宅の近所に住んでおり、5人目とは知り合いであった。今までの証言の特徴ともよく似通っていた。
 警察は直感的に、ビショップの周辺を探った。その結果、ロジャー・ダウンスという偽名を使い、経歴には不審な点が多いことが判明した。

 明確な証拠があったわけではなかったが、警察はビショップに警察署への任意同行を求めた。ビショップは「グラエムを見つけるための手伝いをしたい」と快く承知した。

 警察署で、ビショップに偽名の使用を指摘すると、彼は本当の身分を明らかにし、やがて5件の誘拐と殺人を自供した。

 初めての事件から四年後の1983年7月24日。アーサー・ビショップ32歳で逮捕された。

護送されるビショップ


 自供の翌日、ビショップの証言に基づき、死体の埋められた場所を掘り返した。5人の死体は発見された。4人目と5人目の犠牲者以外は埋められてから時間が経っているため腐敗していた。

 ビショップの自宅からは、38口径リボルバーや血の跡のついたハンマー。全裸の少年の写真等が発見された。写真は巧妙に顔が隠されており、少年たちの身元は判明しなかった。

 ビショップは5件の殺人と誘拐、1件の性的暴行で起訴された。性的暴行が1件なのは、最後の一人の遺体以外は腐敗が進んで、暴行の証拠が入手できなかったためであった。

 裁判中、ビショップの弟であるダグラスが少年に対する性的虐待で逮捕された。兄弟は被害者たちを「共有」していたのではないかという疑惑が持たれた。だが、兄弟はそれを否定し、警察も立証することはできなかった。

 弁護団はビショップはポルノに悪影響を与えられたため、歪んだ性的嗜好を得たのだと情状を訴えた。
 ビショップは後に獄中から書いた手紙「私は小児性愛者の殺人犯です。ポルノが私を堕落させました。なぜだか少年に性的魅力を感じ、少年の裸を夢想しました。本屋へ行けば、種々様々なジャンルのポルノが買うことができます。裸の少年のものも。私はそれらの本を買って空想を膨らませ自慰に耽りました……。もっと、もっとポルノを探し求めるようになりました。私にとってポルノとはダイナマイトの導火線に火をつけるライターのようなものでした。刺激させ、欲望はどんどん膨らみ、やがて爆発したのです。世の中の少年を性的な対象としてしか見えなくなりました。私の良心は鈍感で、性衝動を抑えることができなくなったのです」

 陪審員は、ビショップが自供した際のテープを聴かされた。陪審員たちは、衝撃を受けた。
ビショップは、甲高い声をあげ、道化のような口調で許しを請うていた。それは殺される前の少年たちの声真似だった。彼は真似が終わると、笑い出した……。

 その後、少年たちを死姦していたことも明らかとなった。

 陪審員たちは、ビショップに死刑を求刑した。

 ユタ州では、処刑法を被告人が決めることができた。彼は薬物注射による処刑を選んだ。

 1988年6月10日、処刑は実行された。アーサー・ビショップ37歳だった。

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