「闇の殺人鬼」マルセル・バルボー

本名：マルセル・アンリ・バルボー（Marcel Henri Barbeault）
通称：闇の殺人鬼
国：フランス
生：1941年8月10日
没：生存中

犯行期間：1969年～1976年
逮捕日：1976年12月

犠牲者数：8人（裁判で認められたのは5人）

判決：終身刑

　1976年12月14日、フランス北部に位置するオワーズ県のマルセル・バルボーの住居で、警察の家宅捜索が行われた。地下室から犯行に使われたと思われる凶器や衣服が発見された。警察は容疑が固まったとして逮捕の決断を下す。バルボーが街で、子ども達のクリスマスプレゼントを買って帰宅したとたん、警官が彼の腕に手錠をはめた。バルボーの逮捕を聞いた周囲の人間は、皆同じように驚いた。
　妻は「夫が殺しをするはずがない！」
　同じ職場に勤める同僚は「彼はすばらしい人だ！」
　隣人も「良き父で良き夫のように見えた」
　と、バルボーを悪く言う人間はいなかった。後に行われた精神鑑定では「彼から異常性を見つけ出すことは不可能だ。彼はいたって正常だ」との結果が出た。
　バルボー自身も犯行を否認し続け、それを支持する人間も少なくはなかったが、六時間以上もの陪審員の協議の結果、1981年6月10日、終身刑が下された。

生い立ち

　1941年、マルセル・バルボーは鉄道員の父と専業主婦の母との間に産まれる。四人兄弟の長男で、何不自由なく育った。兄弟仲はよく、両親からも愛された。特に母親は深く彼を愛し、また彼も母親を愛したが、この溺愛ぶりが将来の問題を引き起こすこととなった。バルボーの性格はやや内気なところがあったが、それが特別目立つほどではなかった。家庭環境は申し分のない中流家庭に育った。
　連続殺人犯の特徴として、幼少期に家庭環境に問題があり心に傷を負う、という場合が多い。だが、バルボーは対照的な幼少期を過ごすこととなった。
　14歳の頃、初等教育修了証書の試験に落ちる（日本でいうところの高校進学試験）。なお当時のフランスでは、この試験の合格率は70%以下だったので、バルボーが特別落ちこぼれなわけではない。進学をあきらめた彼は、機械工場で工員として雇われ、五年間、何の問題もなく勤め続けた。
　1960年、バルボーが19歳の時、フランス軍へ志願し入隊。アルジェリアへ送られる。当時、アルジェリアはフランス領であったが独立の気運が高まり、両国の間で熾烈な戦争が巻き起こっていた。
　バルボーはその地でパラシュート部隊に志願したが、原因不明の目まいにたびたび襲われるため、それは断念。結局、後方支援の担架兵となる。希望通りの部隊に就けなかったものの、くさることなく忠実に働いた彼は、二年後の退役時には二つの勲章をもらうほどだった。

　フランス本国に戻ったバルボーは、警官になることを志し、選抜試験を受けるが落ちる。そして、以前勤めていた機械工場に再び勤めはじめることとなった。その頃、映画館で働いていたブロンド女性のジョシアンヌと出会う。二人は出会ってすぐに恋に落ち、結婚。二人の息子をもうける。
　美しい妻とかわいい二人の息子。平日は工場で働き、休日は家族と過ごす。どこにでもいる一般的な父親であった。だが、一つの事件をきっかけに、彼は闇へ誘われることとなった。

バルボー、二十一歳の頃

はじまり

　1968年、バルボーの母親が乳がんのため死去。
　バルボーは彼女の死を看取った。母を失ったショックは大きく、それから毎日というもの母の埋葬されている墓地を訪れるほどだった。愛し、愛されていた母親の死はバルボーの心に大きな傷を負わせることとなった。
　そして翌年、「闇の殺人鬼」が初めて動き出した。
　1969年1月10日。ある工場のエンジニアの妻が、自宅で夕食の準備をしている最中、突然肩に激痛が走り、その場に倒れた。傷は浅く、命に別状はなかった。カービン銃で窓越しに撃たれたのだった。

　続いて四日後の夜。17歳の少女が帰宅途中の路上で、腹部を同じくカービン銃で撃たれた。植え込みに潜んでいた犯人が撃ったものだった。こちらも傷は浅く、逃げ去る姿をチラリと見たが、すでにあたりは暗かったために、犯人が男か女かも分からなかった。

　今度は、一週間後の1月23日。夜。
　49歳、黒髪の女性、化粧品販売員、テレーズ・アダム。自宅のガレージで、闇に潜んでいた犯人に鈍器で後頭部を叩かれ気を失った。その後22口径のライフルでうなじを撃ち抜かれた。即死だった。彼女は衣服をはがれ裸にされたが、強姦はされなかった。死体は犯人によって数メートル離れた空き地へ運ばれ、翌日に発見された。彼女の自宅からは、彼女のハンドバッグ以外何も盗まれていなかったため、強盗の可能性は否定された。
　ほぼ一年後の1971年11月。深夜。しとしとと雨が降っていた。
　警察署に、通報が入った。母親が殺された、と。通報先に駆けつけた警察官はそこで一人の娘を保護した。スザンヌ・ミシュリンヌ、十九歳。動転している彼女から、落ち着くのを待って事情を聞いた。

　彼女の母親――メリエンヌ、44歳――と夕食の準備をしている最中だった。赤いスカーフで顔を隠した男が、忍び入った。男の手にはカービン銃が握られていた。男は銃を二人に向けた。二人は抵抗もできず、男の言いなりとなった。男は二人の女性を、家の外へ連れ出した。線路近くの泥地で、母親のメリエンヌを縄で縛り、こめかみに銃口を突きつけた。ミシュリンヌは男が母親に集中しているのを幸いに、闇に乗じ逃げ出した。数秒後、背後で銃声が響き渡った。
　ミシュリンヌはそう警察に証言し、男のことを「がっしりとした体格で、猫のような眼をしていた」と説明した。

　一年間の間に四件の事件が起き、二人の女性が殺された。
　この連続した四件の事件は、使われた銃が同一のものであることから同一人物の仕業であると警察は判断した。新聞やテレビでは犯人を「闇の殺人鬼」と称し、一大ニュースとして報じた。だが、次第にその事件も人々から忘れられていった。その後約三年間何事も起こらなかったからである。その地に平穏が戻ったかのように思われた……。

　次の殺人事件が起きるのは1973年のことであるが、それまでにバルボーの周囲でもさらなる事件が起きた。1971年、弟のジャン＝リュイが交通事故で死亡した。三年前の母親の死と同様に、またも家族を失うこととなった。それが影響か一年後に、今まで勤めていた職場を辞め、他の工場へ移った。そして、その翌年、またも「闇の殺人鬼」が動き出す。
　1973年2月6日。映画館の受付嬢アニック・デリール（29歳）は仕事帰りの路上で、後頭部を鈍器で一撃され気を失わされた。そして半裸体に剥かれた後、カービン銃によりうなじを撃ち抜かれ殺された。犯人は彼女のハンドバッグを持ち去っていた。

　続いて同年5月29日。ある墓地の近くに止められた車中から二人の死体が発見された。ウージェンヌ・ステファン（25歳）とモーリセット・ヴァン・イフテ（23）が血の海の中で絶命していた。二人は恋人同士で、昨夜未明に車中で愛を語らっていたものと思われた。今までの「闇の殺人鬼」の殺害方法と同じく、二人は後頭部を殴られ気絶させられた後、カービン銃により殺されていた。

　ただし、今までの犠牲者は女性のみであったが、今回初めて男性が殺され、また弾道検査により、以前の事件とは違う銃が使われたいた。警察は、この犯行が「闇の殺人鬼」によるものかそうでないか判断に苦しんだが、今までの殺人は計画的なものであったが、今回のは突発的なもの――おそらくカップルを見て殺人衝動を抑えきれなくなった――と推理した。

　それから約半年後。1974年1月8日。ジョゼット・ルチエ（29歳）の家にバルコニーからひとりの男が侵入した。男はカーテンの影に隠れ、ジョゼットの後頭部を一撃した。後は、今までの「闇の殺人鬼」の殺害方法と全くおなじである。カービン銃で頭部を撃ち抜き、衣服をはぎ取り、ハンドバッグを盗む……。

　ジョゼットの死体は三日後、ガラス窓が割れているのを不審がった隣人が警察に通報したことにより発見される。
　三度目のマルセル・バルボーに対する大きな不幸が訪れた。
ジョゼット殺害の一月後、弟のロジェが電車へ投身自殺した。母と二人の弟を失った。
半年後の1974年9月3日、マルセル・バルボーは逮捕された。ただし、盗みの現行犯であり、「闇の殺人鬼」とは無関係であった。バルボーはこの数年間、たびたび盗みをはたらいており、今回たまたま見つかったのだ。

　家宅捜索を行った警官は、盗品の多さに驚いた。バルボーはこう言った。「ちょっとばかりお金が必要なんだ。家族とバカンスに出かけるためにね」
　盗品の中から、拳銃やライフルも発見された。
「昼間は家内が一人っきりで不用心だから」
　と、彼は説明した。
　バルボーは窃盗の容疑で一ヶ月間の懲役が確定。服役した。彼の妻、ジョシアンヌは夫が犯罪を犯したことに対して激しいショックを受け、精神科へ通院することになる。離婚も考えたが子供のために、そこまでは決断できなかった。代わりに出所してきた夫に向かって宣告した。
「もし、もう一度同じようなことをしたら離婚するわよ。おしまいになるのよ！」

作成されたモンタージュ写真

　バルボーが逮捕されてから約一年後1975年の11月26日。市職員が路上の落ち葉を掃除していたとき、茂みの中から女性の死体を発見した。ほぼ全裸状態で、後頭部は鈍器で殴られ、こめかみはカービン銃で撃たれていた。数日前から捜索願が出ていたジュリア・ゴンサルヴェス（29歳）の死体だった。この事件では、通行人が自動車のヘッドライトに照らされる殺人犯と思われる姿を目撃していた。その証言により、モンタージュ写真が作られ、公表されたが、寄せられる情報はデマばかりで捜査の進展には役立たなかった。

　それから数ヶ月後の1976年1月6日。雨の降る夜だった。フランソワーズ・ヤクボウスカ（21歳）は仕事帰りに自宅へ向かっていた。不意に、闇に潜んでいた男が飛び出し、彼女の後頭部めがけて鈍器を振り下ろした。男は倒れ込んだ彼女を抱きかかえると、胸部を何度も何度もナイフで突き刺した。やがて、満足した彼は、カービン銃の銃口をこめかみに突きつけ、引き金を引いた。これまでの殺害と違いナイフが用いられていた。殺害方法がエスカレートしていた。

　街はパニックに陥っていた。日が沈んでから一人で出歩く女性はいなくなった。また、これまでの被害者が全て黒髪だったことから、黒髪の女性はこぞって他の色に髪の毛を染めた。
様々な噂も飛び交った。切り裂きジャックのように市長に向けて犯行声明の手紙を送った、とか、　満月の日には犯人が徘徊するというような、根も葉もない噂ばかりであった。
　しかしそうした人々の恐怖も犯人の逮捕によって消え去った。
　最後の殺人から約一年後の1976年12月14日。マルセル・バルボーは殺人の容疑で逮捕された。

訴訟、否認

　明白な物証は三つ。
　一つ目は、バルボーの自宅で発見されたカービン銃。弾道検査の結果、この銃は七人目の犠牲者フランソワーズ・ヤクボウスカと、八人目の犠牲者ジュリア・ゴンサルヴェス殺害に使われたものだということが立証された。
　二つ目の証拠。同じくバルボーの自宅から発見されたレインコート。それはスザンヌ・ミシュリンヌの証言と完全に一致していた。
　三つ目。バルボーは一度、窃盗の容疑で逮捕されていた。そのさい、盗みに入られた家では一丁のカービン銃が盗まれていた。バルボーが盗んだのはほぼ間違いないと思われ――現物は見つからなかったが、友人の一人がバルボーがそれと同じ銃を持っていたのを目撃している――その銃を調べた結果、ウージェンヌ・ステファンとモーリセット・ヴァン・イフテ、ジョゼット・ルチエ殺害に使われたものであることが判明した。

　バルボーは否定し続けた。
　自宅の銃とレインコートは、墓地に捨ててあったのを拾ったものだ、と（しかし拾った場所や日時の説明は二転三転した）。三つ目の銃は、盗んだこと自体を否定した。

逮捕され連行されるバルボー

　その他にも様々な証拠があった。傷跡と一致した軍用ナイフと棍棒状のパイプ管（ただし血の跡は発見されず）。血のシミのついた服を着ているバルボーを目撃した職場の同僚。現場に残された靴跡のサイズ。目撃者によるモンタージュ写真の一致。夜遅くに度々行っていた外出（妻には、仕事だと告げていたがその事実はなかった）等々。
　
　圧倒的な証拠の前にバルボーの犯行を否定する材料は少なかった。殺された八人のうち残り三人を殺した凶器が見つからないこと、そして、周囲のバルボーに対する評価ぐらいであった。
　妻は「夫が殺しをするはずがない！」
　同じ職場に勤める同僚は「彼はすばらしい人だ！」
　隣人も「良き父で良き夫のように見えた」
　心理学者や精神科医は彼から異常性を見つけることはできなかった。
「平均よりも少しばかり高い知能。やや内気で抑鬱的で欲求不満であるが、特別、異常であるとは認められない」
「バルボーと面談したが、彼に問題があるとは思えなかった。後に、私は彼の行動の中から欠陥を無理に見つけ出そうとした。だが、それは無理だった。バルボー、彼はいたって正常だ」
　裁判の間、バルボーは犯行を否認し続けたため殺害の動機は謎に包まれたままだった。心理学者は、様々な推測をした。

　母親が乳がんで乳房を摘出したことから、正常な乳房を持っている女性に一種の憎しみを抱き、母親と同じ黒髪の女性に「復讐」した。
　バルボーは犠牲者から金目のものを盗まず、また強姦もしなかった。彼はハンドバッグのような身近なものを盗むことで被害者のプライベートを覗き見、それで性的満足を得ていた。肉体的なものよりも、精神的に女性を支配したかったことの表れである、等……。

　検事はバルボーに対して死刑を求刑。バルボーは無罪を主張。
　六時間近くにもわたる陪審員の話し合いの結果、終身刑が宣告された。その瞬間、バルボーは冷静を装ってはいたが手がかすかに震えているのに、周囲の人間が気づいた。
　1983年。再審請求により再び裁判が行われた。しかし、新たな証拠はなに一つ無かった。新聞は「前回の裁判のコピー」と評した。判決も同じであった。
　1983年11月21日。マルセル・バルボーは終身刑を宣告され、フランス中部のサン・モール刑務所に現在も服役中である。
　なお、マルセル・バルボーが逮捕された1976年以降「闇の殺人鬼」による犯行は起こっていない。