本名:ラルフ・レイモンド・アンドリュース(Ralph Raymond Andrews)
国:アメリカ
生:1945年
没:2006年1月31日
犯行期間:1972~1993年
逮捕日:1993年
犠牲者数:2~40人
判決:終身刑
1945年、アメリカ。イリノイ州エヴァンストンにてラルフ・アンドリュースは産まれる。
彼が十七歳の頃、自動車窃盗の罪で逮捕される。この時の彼のガールフレンドは、彼のことを礼儀正しくて聡明でありユーモアにあふていたと述懐した。彼が将来、数十人もの女性を殺害するような殺人鬼になるとは想像も出来なかった。
だが、ただひとつだけ、この好青年に奇妙な癖があった。彼は暇つぶしと称して動物の首をナイフで切り取るのだった……。
その後、ラルフ・アンドリュースは結婚をし、三人の子供を作った。だが、平穏な家庭は彼のうちに秘めた黒い欲求を眠らすには至らなかった。
窃盗、誘拐、暴行、様々な罪で何度も逮捕され、刑務所に入れられたが、長期間服役することはなかった。逮捕されては、釈放されるの繰り返しであった。そうした経験が、彼を学習させる。裁判で陪審員に好意を抱かせる振舞い方を学んだ。
1973年。イリノイ州ハイランドパークの道路上で、二人のヒッチハイカーの15歳の娘が自動車を拾おうとしていた。彼女たちの前で止まったのはラルフの乗った自動車だった。彼女たちは、親切そうなラルフのことを疑わなかった。雪が降っていたこともあって、喜んで彼の自動車へと乗り込んだ。車内の窓にはカーテンが引かれていて、容易に開くことができないような細工がされていた。不信には思ったが、質問はしなかった。
だが彼の運転する車は、彼女たちの望む方向へは向かわなかった。尋ねる彼女たちに彼は答えた。
「君たちはどこへも行けない。君たちみたいなキレイな少女たちの裸を見たいんだ」
そして、彼は自分がこれから何をする予定かを彼女たちに説明した。
彼女のうちの一人を縛り付け身動きできないようにしてから、もう一人の少女をその目の前で犯す、と。
彼はまた、過去に二人の少女を殺したことがあると仄めかした。そのうちの一人と予想されているのが、アミー・アルデン15歳。彼女は一年前にイリノイ州スコキーで死体で発見されていた。
恐怖におののいた少女は、運転しているラルフ・アンドリュースに飛びかかった。自動車は道を外れて路肩へと突っ込んだ。激怒した彼は、ナイフを取り出して彼女に切りかかった。二人は揉みあった。ナイフを取り落とした。彼女の一人がそのナイフを拾い上げ、彼に向かって突き刺そうとした。
ちょうどその時。他の自動車が通りかかった。路肩の自動車に不審を抱いて、車を止めて彼らのところへと近づいた。格闘している彼らを目撃し、少女らは助けられた。
二人の少女は、全治一ヶ月の傷だった。しかし、それ以上に心に深い傷を負った。それは、その後の裁判の結果によるところも大きい。
逮捕されたラルフ・アンドリュースは、無罪を宣告された。妻と三人の子供をもつ彼は、陪審員たちから信頼をかち得ることができた。15歳のヒッチハイカーはマリファナ中毒だったと疑いをかけられ、彼女らの証言は認められなかったのだ。
1977年8月25日。ベビーシッターのアルバイトをしていたスーザン・クラークは、仕事帰りにラルフ・アンドリュースに襲われた。彼は、彼女を強姦し、頭部を拳銃で撃ちぬいた。次に、ナイフで、腹から首までを引き裂いた。死体は、人里離れたスコキーの農場に捨てられた。
その後、スコキーでは数件の殺人事件が起きた。犠牲者は、アミー・アルデン15歳。アルヴェラ・トーマス14歳などである。ラルフ・アンドリュースも容疑者のひとりとしてリストにあげられ何度か尋問されたが、否定をし続け、証拠もなかったために逮捕には結びつかなかった。
彼が逮捕されるのは1991年、ラルフ48歳の時だった。バージニア・グリフィン41歳殺害の容疑だった。彼女は強姦され何十回とナイフで刺されていた。凶器のナイフが彼のアパートから発見されたのが逮捕の決め手となった。
罪を認めた彼に下った判決は終身刑だった。彼は刑務所に入った。
そこで囚人たちに自分の犯行を自慢した。他にももっと多くの人間を殺したのだ、と。一人の囚人が看守に密告した。看守は、彼の房に盗聴器を設置した。その盗聴記録は警察へ送られ、捜査が行われ彼の言葉通りに四人の死体が発見された。
しかし、彼が殺人を認めたのは、スーザン・クラークのみであった。他の殺人については否認した。警察にはそれを覆すだけの材料もなかった。
殺害方法もまちまちであり、警察自身、彼の犯行であると確信を持つことはできなかった。
バージニア・グリフィンはナイフで何十回も体を切り刻まれ、スーザン・クラークは手首を縛られたうえで、頭部へ銃弾を打ち込まれ、アルヴェラ・トーマスは他の犠牲者たちと違い、衣服に乱れはなく……。
彼は多くて40件の殺人を犯したと予想されている。多くは死体も出なければ、証拠もなかった。
結局、彼はスーザン・クラークの殺害と強姦の罪を告発されただけだった。
2003年5月、二度目の有罪判決がくだされ、再び終身刑を宣告された。
彼のもっと多くの殺人容疑を解明するために、イリノイ、ウィスコンシン、ミシガン、インディアナなど広範囲に捜査は行われていた。刑務所に収監されていたラルフ・アンドリュースは心臓に持病を持っており、時々発作に苦しんでいたが、手術を拒み続け、2006年1月31日、心臓発作によってこの世を去った。61歳だった。
殺人の捜査は今も続けられている。


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