本名:アンドラス・パンディ(András Pándy)
国:ベルギー
生:1927年6月1日
没:生存中
犯行期間:1985~1989年
逮捕日:1997年10月17日
犠牲者数:6人
判決:終身禁固刑
国:ベルギー
生:1927年6月1日
没:生存中
犯行期間:1985~1989年
逮捕日:1997年10月17日
犠牲者数:6人
判決:終身禁固刑
2002年。プロテスタント牧師アンドラス・パンディは六つの殺人と一つの殺人未遂、加えて実の娘に対する強姦の罪で終身禁固刑を言い渡された。被害者は自身の妻、子供そして元妻の六人。彼の家族のほとんどが殺され、無事だったのは、殺人と死体の隠匿を手伝った娘アグネス・パンディと、アンドラスとの間にできた子供を連れて海外へ移り住んだ義理の娘、他二名の、全部で四人だけだった。
アグネスはアンドラスと同様、殺人の罪で裁判にかけられたが、アンドラスに心理的に支配されており、彼の命令に逆らうことができなかったことから情状が認められ懲役21年の刑が宣告された。
獄中で乳がんを患った彼女は2010年6月に仮出所。ベルギーの片田舎にある修道院に引き取られた。
アンドラス・パンディは高齢で健康に不安があったため2010年に刑務所から療養所へ移されそこで療養中である。
1927年6月1日、アンドラス・パンディ、ハンガリーで生まれる。そこでプロテスタント牧師の補佐として1956年まで働く。その後、スイスへ赴き神学の勉強を続ける。その頃、イローナ・ソレスというハンガリー亡命者と出会い、結婚。
59年、32歳の頃にスイスを去りベルギーに移り、ハンガリー牧師協会の要職に就いた。信者達から支持された彼は、資金を貯めハンガリーに三軒の家を建てるほどだった。
1967年、イローナ・ソレスと離婚。彼女との間にはすでに三人の子供ができていた。後にアンドラスの共犯として逮捕される長女アグネス・パンディと長兄ダニエル、次兄ゾルタン。
離婚後、エディット・フィントルと再婚。彼女には連れ子がいた。チメア、ツンダ、アンドレアの三人。
アンドラスは、この娘達に対して日常的に性的関係を結んだ。その結果、1984年アンドラスが57歳の時、義理の娘チメア(当時20歳)が妊娠し、男の子を出産。その子の父親はアンドラスだった。
マークと名付けられた赤ん坊を、アンドラスは自身の息子として育てようとした。だが、マークの母親であるチメアはそれを断固として拒絶した。
支配的なアンドラスは、自分の意見に逆らう家族が許せなかった。何もかも自分の思い通りにしなければ気が済まない質だった。
アンドラスの強権は、家庭を二つに分けさせた。従順で父親の言うことに逆らうことができない長女アグネスと、それ以外のメンバー。家庭内の意見はことごとく二分した。特にマーク坊やの教育方針についてはそうだった。自分の手で育てようとするアンドラスと、それに断として反対するチメア。アンドラスの意見に賛成なのはアグネスのみで、他の家族は全て、マークをアンドラスの手から離れたところで育てたいと考えていた。
アンドラスは家庭内で信頼できるのはアグネスしかいなかった。アンドラスは反抗的なチメアの殺害をアグネスに命じた――。
1985年6月。アグネスはチメアの頭部を鉄の棒で殴った。だが、命には別状がなかった。
彼らの殺意を悟ったチメアはマーク坊やと共に急遽ベルギーを出国し、カナダへと移った。
アンドラスは執念深く、彼女を連れ戻し殺害するために何度もカナダへと赴いた。しかし、幸いにもチメアは見つけられることはなかった。
チメアに逃げられたアンドラスの怒りは、他の家族のメンバーへと移った。
1986年7月31日。妻エディットと、義理の娘アンドレア(14歳)の二人はハンマーで頭部を叩き砕かれ殺害される。実行したのはアンドラスに命じられたアグネスだった。
元妻のイローナ・ソレス。彼女はアンドラスからマークについて相談を受けていた。しかし彼女はアンドラスの意見に反対した。マークは母親の元で育てるのが良い、と。
1988年3月20日。イローナ及び息子のダニエル(26歳)は拳銃で頭を撃ち抜かれ死亡。実行犯は前回と同じくアンドラスに命じられたアグネスだった。
1988年4月4日。相次いで姿を消す家族を不審に思い、アンドラスの周囲を探り始めた次兄ゾルタン(22歳)が、それを察したアンドラスに殺害される。
1989年6月。義理の娘ツンダ(18歳)は恋人と共に海外へ移り住む計画を立てていた。だがその計画が実行されることはなかった。アンドラス・パンディによって殺されたのだった。
これら一連の殺害の死体はその後の捜索でも見つけられることがなかった。アグネスの証言によれば、死体はまずノコギリを使って細かく部位ごとに分けられた。頭部や手のような見つかれば身元を確認できる箇所は洗浄用の酸を使って溶かし下水へ流された。
残りの部位は、近くの屠殺場の廃棄場へ捨てられた。それらは食肉用の廃棄部位と共に運び去られ処理された。
1992年。地元の警察署へアグネス・パンディが訪れた。彼女は、父親が娘達へ性的暴行を加えていると訴えた。更に、家族の失踪の件も伝えたが、内容は具体性に乏しかった。警察は捜査を始めた。アンドラスは、性的暴行は一切認めず、家族の失踪については、妻エディット・フィントルがドイツから送ってきた手紙や絵はがきを差し出した。その手紙には、ハンガリーへ移り住んだ旨が書かれていた。(この手紙は後にアグネスがアンドラスに書かされたものであることを説明した)
更に、失踪した家族を見かけたという目撃証言もあった。(これはアンドラスが失踪を隠すために雇った役者であった)
結局、彼の犯罪を立証する証拠は乏しく逮捕に結びつくことはなかった。
5年後の1997年。アグネスは再び警察署を訪れる。前回と同じく父親の犯罪を訴えた。だが前回と違ってその訴えは非常に具体的であった。アグネスの証言に基づき捜査は進められ、1997年10月17日。アンドラス・パンディ(当時70歳)は遂に逮捕された。一月後の11月20日には、犯行を手伝ったアグネス・パンディ(44歳)も逮捕された。
――裁判長殿、もっと大きな声でしゃべってくれませんか。私はもう70歳で、ちょっとばかし耳が遠いんでね。
アンドラス・パンディの法廷での態度は平然としながらも、時折声を荒げて異議を唱えた。
彼は殺人も性的暴行も全て否認し続けた。それはアグネスの証言と真っ向から対立するものだった。しかし、彼の否認は論理性を欠き誰の目にも「嘘」を付いているのが明らかだった。
チメアの子供マークがDNA鑑定によりアンドラスの息子であることが立証されたとき、彼はこう言い訳した。チメアには家族の下着で陰部を擦る癖があり、アンドラスの下着でその癖を行ったとき、たまたま精液が付いており妊娠したのだ、と。
その後尋問では、DNA鑑定にケチを付けるようになった。鑑定結果が一方的である、と。それならば、と検事は言った。もう一度別の専門家に頼んで鑑定しましょうか?
「そんなことは無意味だ! 何かの間違いだ!」
彼は叫ぶだけだった。
家族の失踪も彼は認めなかった。アンドラスは彼の殺した人間はハンガリーに移り住み健在であると説明した。それを説明するために手紙を提示したが、これはアグネスによって書かれた物であったり、アンドラスが金で無関係の人間に書かせた物であることが判明していた。目撃証言もあったが、これはアンドラスの雇った役者であった。家族が健在ならばなぜそのようなことをする必要があったのか、という問いに彼は、映画を撮りたかったからと答えた。しかし、彼はビデオカメラを持っていなかった。
連行される時人混みの中で家族の一人を見た、とも証言した。だが、検事からなぜそれをそのときに言わなかったのかと、問われると彼は口をつぐんだ。
家宅捜索で見つかった銃器類は、買った覚えがないとシラを切り通した。だが、それを購入した際の領収書が発見されたし、その銃器を持っているところを友人が目撃していた。
娘アグネスの証言を彼は「嘘」と断言した。しかし精神科医の鑑定では、彼女はやや分裂病の気があるが、彼女の証言は信用に値するという結果が出た。
最終的には彼は妄言のような発言が目立つようになった。
「失踪は天使が関係している」
「天使が家族の無事を教えてくれた」
「私が無罪になったとき、全ての真実が明らかとなる」
エゴイスト、偏執狂、支配的で反社会的、そして女キチガイ。彼は家族というコミュニティの中で「大司教」の立場で人々をコントロールしようとした。彼に逆らう人間は容赦なく排除した。だが、結局コントロールできたのは娘のアグネスだけだった。
彼女は父の行いが間違っていることには気づいていた。だが、それをあらがう術を持っていなかった。完全に彼の影響下にあった。それは父への恐怖のためであった。幼少期からの性的虐待。そして、殺人の共犯――。いつ、自分が父の手によって殺されるか分からない。殺されないためには父に逆らわないことだ。そう考え、彼女は彼の命令に従い続けた――。
アンドラス・パンディ、六つの殺人と一つの殺人未遂(チメアに対するもの)そして強姦の罪で終身禁固刑を言い渡された。
アグネス・パンディ、五つの殺人と一つの殺人未遂で二十一年の懲役を言い渡された。
なお、アンドラス・パンディの自宅からは身元不明の人骨が見つけられていた。14人から22人のもので、うち10名近くが女性だった。未だに身元は判明していない。近隣の住民は彼が臓器売買をしていたと噂していたが、警察の捜査ではそれを立証することはできなかった。
参考文献:目黒殺人鬼博物館 『殺人王リターンズ 世界殺人鬼ファイル』







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